先日、こんなことを呟きました。

このツイート、見る人によれば「は?こんなことが言えるなんて、お前はさぞかし恵まれた環境で育って羨ましい限りですね」と映るかもしれないなと思って反省しつつも、真意はそこじゃないというのを思い切って書いてみます。

「親ガチャ」については「あるかないか」が話題になっていますよね。確かに、親は選べないし、家庭環境って思いっきり自分自身や将来を左右する要素だと思います。そこに対して「いや、環境のせいにするのは甘え。自分自身で人生を切り開け」なんて偉そうに指摘なんて到底できません。

いや、そうじゃなくて、「親ガチャ」って言葉が、重いテーマなはずなのに、例え方がどこか軽くて使いやすくて、怖いなという印象なんです。この言葉を使う人と友達になって、何かもめ事が起こったとき「はー、友達ガチャ外したわ」と簡単に言われそうなぐらいの汎用性だなと。この「ガチャ」がとくに。暗に「人生うまくいかないのは、すべて〇〇を外したから」という思考に陥りやすい言葉だなと。「あー、自分は、運が悪いなぁ」と。こういう言葉って、思考にまで影響される気がします。

「親ガチャ」はあると思います。ただ、「親ガチャがある」ことをふまえて、どう行動していくかが、やっぱり大切な気がします。

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